2009年06月26日

2001年に就任したジョージ・W・ブッシュ大統領は

2001年に就任したジョージ・W・ブッシュ大統領は、就任直後から査察に対するイラクの非協力姿勢を問題にしていた。この頃からアメリカとイギリス国内でイラクに対する強硬派の主張が高まり始めた。イラクに対する強硬論が高まった背景としては、国連主導の経済制裁に緩みが発生し、密貿易で資金を調達したイラクjが軍備の増強を行っているという観測があった[11]。2月には完成しつつあるイラクの防空網を破壊するための英米軍による空爆が行われた。

6月、アメリカとイギリスは2001年11月に期限が切れる『石油と食糧の交換計画』に代わるイラクに対する経済制裁案である「スマート・サンクション」の導入を提案した。しかし、ロシアの強硬な反対により、従来の制裁が継続されることになった(国際連合安全保障理事会決議1328)。

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9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生した。世界でテロに対する非難やアメリカに対する哀悼のコメントが寄せられる中、イラク国営放送は第一報として対米テロ攻撃を「世紀の大作戦」と賞賛し、「アメリカがこれまで犯してきた人道に対する犯罪に対する当然の仕打ち」であり、「アメリカの力の象徴が破壊されたことはアメリカの政策の崩壊である」、とコメントした[11]。この報道はイラクに対するアメリカ側の心証を悪化させたものの、アメリカ政府はテロ事件発生後一ヶ月間はむしろイラク政府の関与に否定的なコメントをしていた[11]。10月20日になって、フセイン大統領はアメリカ市民に対する弔意をはじめて示した。

しかしこの頃からアメリカ政府内では対イラク強硬派であるジェイムス・ウールゼイ元CIA長官やポール・ウォルフォウィッツ国務副長官、リチャード・パーレ国防総省国防政策局長等の発言力が強まり、イラクに対する強硬発言や言動が取られる機会が増加した。

2009年06月10日

政体(せいたい)とは、統治形態・政治形態を指すか

政体(せいたい)とは、統治形態・政治形態を指すか、または、国家の要件を満たさないものも含めた広義の政治体を指す。2つの異なる概念が同じ用語を使用しているため、詳細はそれぞれの節に記す。

支配者が誰かに着目した統治の形態。政体の上に国体という概念をおき、主権者が誰かを指す概念として国体を用い、政体をより細かな統治の形態とする場合もある。

古代ギリシアのアリストテレスが政体を君主政、貴族政、民主政に三つに分類したものが、後までもっとも有名である。ポリュビオスは、これら三つの政体が堕落することでそれぞれ専制、寡頭政、衆愚政になり、ついには別の政体に移行するという政体循環論を唱え、各政体の要素をあわせたローマの混合政体を最上とした。
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泌尿器科
棚田
弓道
四国
水族館
フラメンコ
昆虫
医用生体工学
上場
バイアスロン

モンテスキューなどの18世紀の社会思想家は、アリストテレスとポリュビオスの説をふまえ、様々な組み合わせで政体の特徴と長短を論じた。なお、この時代の議論では、良い混合政体を指して、共和政と呼んでいた。

最広義の政治団体。法学や政治学が定義する国家の要件を満たさないものを含め、一定領域に政治支配を及ぼすものをすべて含める。主権を持たない地方自治体や従属国・保護国や、領土によらず交易を統制する港市、統治を及ぼさず儀礼的な服従関係を結ぶ古代的王国が国家以外の政体の例である。

この意味での政体は、20世紀には都市の政治と国家の政治を意識的に横断して扱ったロバート・ダールらに用いられた。その後、国家論を歴史に用いようとする試みが、固く強いまとまりを持つ国家とは異なる、緩い結びつきしかない「国家にあたるはずだが国家の定義にはあてはまらない何か」を発見させるに至り、政体というより広い語がとりあげられるようになった。さらに1990年代には、EUの出現により、現代政治の分析においても国家を自明の政治単位とすることができなくなり、政体という語の使用頻度が増した。

2009年06月06日

閑山島海戦(かんざんとうかいせん)は

閑山島海戦(かんざんとうかいせん)は、文禄の役における海戦の一つ。 文禄元年(1592年)7月7日に閑山島と巨済島の間の海峡で単独出撃をした脇坂安治の水軍が、朝鮮水軍の誘引迎撃戦術により撃破された海戦。

文禄元年(1592年)4月の釜山上陸以来、見るべき抵抗の無かった朝鮮南岸に対し、侵攻作戦こそ無いものの策源地の釜山を中心に番外の所隊が支配領域拡大のために展開をしていた。5月に入ると、これらの部隊の海上移動にあたっていた海運部隊が李舜臣を中心とする朝鮮水軍の襲撃を受けた。

5月7日頃、李舜臣は91隻を率いて加徳島の玉浦に停泊する日本の輸送船団を攻撃し、26隻を撃破した。

同月29日、李舜臣は泗川湾で日本船団を攻撃し、大船12隻を焼き払った。この時舜臣も銃弾を左肩に受け負傷した。6月2日朝、李舜臣は唐浦に停泊中の来島通之・亀井茲矩率いる20余隻の船団を攻撃、通之を戦死させた[1]。

これに対処するために豊臣秀吉は6月23日付けの書状で陸戦や後方輸送に従事していた脇坂安治(動員定数1500人)、九鬼嘉隆(動員定数1500人)、加藤嘉明(動員定数750人)の三大名を招集し朝鮮水軍を討つように命じた。

6月14日に三大名は釜山浦に集結したが、功名に逸った脇坂安治は抜け駆けをして7月7日に巨済島へ単独出撃をした。

一方、二度の出撃で戦果を上げた朝鮮水軍の全羅左水使・李舜臣(24隻)は7月6日に日本水軍の動きを察知すると直ちに出撃し、慶尚右水使・元均(7隻)と全羅右水使・李億祺(25隻)の水軍と合流した。
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7月8日、日本艦隊を発見した李舜臣は出撃を主張する元均を抑え、囮と潮流を使った迎撃作戦を展開した。また、この艦隊には亀船三隻が参加していたという。囮と海流に乗って出撃した脇坂艦隊は有力な朝鮮水軍の迎撃を受け大きな被害を出し、脇坂安治も窮地に陥るが、座乗船の大きさと櫂の数による機動性を生かして撤退に成功した。

李舜臣は自身の記録である「見乃梁破倭状」で日本艦隊の発見数を大船36隻・中船24隻・小船13隻、撃破数を63隻と記録している。しかし、脇坂安治への動員定数が1500人であることを考えると発見数と戦果は過大評価の可能性が高い。(翌年5月の晋州城攻撃時の脇坂軍の点呼員数は900人)

この海戦で脇坂安治は部将の脇坂左兵衛と渡辺七衛門を失い、海賊出身の真鍋左馬允は船を失って上陸後に責任感から切腹した。また脇坂艦隊の内、海戦中に船を放棄して閑山島に上陸した者が200人生還している。

参勤交代(さんきんこうたい)は

参勤交代(さんきんこうたい)は、各藩の大名を定期的に江戸に出仕させる江戸幕府の制度である。参勤は一定期間主君(この場合は将軍)のもとに出仕すること、交代は暇を与えられて領地に帰り政務を執ることを意味する。

「参勤交代」が一般的。江戸に出仕(勤)した時は将軍にまみえる(覲)のが通例であるため、参勤は「参覲」とも書かれる。また、交代は「交替」と書かれることがある。

寛永12年(1635年)の「武家諸法度」の参勤交代を規定する条文には

参勤交代の起源は鎌倉時代にみられた御家人の鎌倉への出仕である。

戦国時代には戦国大名の一部は自身の居城の城下町に服属した武士を集めるようになり、豊臣秀吉が大坂城・聚楽第・伏見城で支配下に服した大名に屋敷を与え、そこに妻子を住まわせたことから全国的な参勤制度の原形ができあがった[2]。大名は1年ごとに行き来していた。

慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利して覇権を確立すると、諸大名は徳川氏の歓心を買うため江戸に参勤するようになった。家康は秀吉の例に倣って江戸城下に屋敷を与え、妻子を江戸に住まわせる制度を立て、当初は自発的な参勤であったが、次第に制度として定着していき、3代将軍・家光の時代の寛永12年(1635年)に武家諸法度の改定によって義務付けした[3]。

寛永19年(1642年)には譜代大名にも参勤交代が義務付けられ、原則として幕府の役職者を除く全ての大名が参勤交代を行うようになった。

参勤交代制度は、8代将軍・吉宗のときに財政窮乏を理由に部分的緩和が行われた時期を除き、江戸時代を通じて堅持された。

幕末の文久2年(1862年)閏8月には、文久の改革の一環として、3年に1回(100日)の出府に緩和された。その後、元治元年(1864年)9月、禁門の変後の情勢を幕府が過信し制度を元に戻したが、従わない藩も多かった。

寛永12年(1635年)の参勤交代制度のもとでは、諸大名は1年毎に江戸と自領を行き来し、妻子は人質として江戸に常住しなければならないと同時に、その旅費や江戸の滞在費を全て大名に負担させていた。ただし、水戸徳川家などの一部の親藩・譜代大名は、領地が江戸に近かったり領地が小さいことから、例外として交代を行わずに江戸に常駐し、“定府”と呼ばれた。また、交代寄合と呼ばれる格式の高い旗本は大名に準じて参勤交代を行った。

参勤交代制度の目的は、諸大名に出費を強いることでその勢力を削ぎ、謀反などを起こすことを抑止するためだったとされる[4]。ただし、幕府としても本来の趣旨は軍役奉仕であったため、藩財政が破綻して軍役が不可能となることは、参勤交代の趣旨を根底的に否定する事になるため、大名行列の制限を行うなどの措置を採っている。

参勤交代は軍役であるから、大名は保有兵力である配下の武士を随員として大量に引き連れて江戸に出仕し、領地に引き上げねばならないため、移動の際に大名行列という大掛かりな行進を行う必要があった。このために費用がかさみ、参勤交代は大名の財政を圧迫することとなった。
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参勤交代のために、街道や宿場が整備され、大名行列が消費する膨大な費用によって繁栄した。同時に、大量の大名の随員が地方と江戸を往来したために、彼らを媒介して江戸の文化が全国に広まる効果を果たした[5]。例えば、天保12年(1841年)の紀州徳川家11代藩主徳川斉順の参勤交代では、武士1639人、人足2337人、馬103頭を擁した。道中の枚方宿では、準備のために七里飛脚や紀州藩士が藩主が到着する数ヶ月前から来宿したという。数千人規模の行列であり、その準備まで含めれば多額の出費であったことが窺われる。御三家紀州侯の大名行列は格式と威光を感じさせる大行列だったため、多くの農民が見物に訪れるほどであった。紀州侯の場合でなくとも、行列の周辺への経済効果(出費等)や文化的効果(格式等)は大きかった。

それほどの財力の無い藩では、大きな宿場町を通過する際のみ、臨時雇いで家来の「水増し」を行い、行列の威厳を保ちつつ、経費を節約したといわれる。

なんらかの事情で参勤交代が免除される事があり、これを“用捨”と言った。用捨が許される理由としては、居城の火災、飢饉、藩主の病気、代替りなどがある。

参勤交代で江戸に単身赴任する各藩の家臣はかなりの数に上り、この結果、江戸の人口の約半数が武士となっていた。

2009年04月23日

カロリング朝の辺境侯

ネウストリアの辺境侯(en)は、861年にカロリング朝の王シャルル禿頭王によって創設された。元々は、2つの辺境侯があった。一つはブルトン人に対するもの、残りはノース人に対するものであった。2つの辺境侯はしばしば、ブルトン辺境侯、ノルマン辺境侯とめいめい呼ばれた。王によって任命された、管理人、知事、辺境伯の名称で知られる官吏が治めた。

911年、ロベール1世が2つの辺境侯位を得て、デマルクス(demarchus)という称号を名乗った。彼の系統、後のカペー家が987年までネウストリア全土を治めていた。987年、ユーグ・カペーが王に選出された。従属的なネウストリアの侯位は、ヴァイキングの絶頂期、ブルトン人の反乱といった節目に力を持ち辺境伯より勝った。カペー家がフランス王位につくという奇跡の後、さらなる辺境侯は任命されず、ネウストリアはヨーロッパの政治的用語として消滅した。

支配者
メロヴィング朝
6世紀後半からフランク王国は、ネウストリア、アウストラシア、ブルグンドの各王国に明確に分割された。ソワソンまたはパリからネウストリアを治めた初期の王らはここでは除外されている。

クロタール2世, 584年?629年
ダゴベルト1世, 629年?639年
クロヴィス2世, 639年?657年
クロタール3世, 657年?673年
テウデリック3世, 673年
キルデリック2世, 673年?675年
テウデリック3世, 675年?691年
クロヴィス4世, 691年?695年
キルデベルト3世, 695年?711年
ダゴベルト3世, 711年?715年
キルペリック2世, 715年?721年
テウデリック4世, 721年?737年
キルデリック3世, 743年?751年

宮宰
最初は宮廷の長程度の意味しかなかったが、次第に王の名において徐々に事実上の支配者となっていった。

ランドリック, 613年まで
グンドランド, 613年?639年
アエガ, 639年?641年
エルキノアルド, 641年?658年
エブロイン, 658年?673年
ウルフォールド, 673年?675年
レウデシウス, 675年
エブロイン, 675年?680年 (再)
ヴァラットン, 680年?682年
ギステマー, 682年
ヴァラットン, 682年?686年 (再)
ベルタール, 686年?688年
ピピン2世, 688年?695年
グリモアルト2世, 695年?714年
テウドアルト, 714年?715年
ラゲンフリート, 715年?718年
カール・マルテル, 718年?741年
ピピン3世, 741年?751年

カロリング朝の準王
カール (カール大帝の子), 790年?811年
ロタール1世, 817年?831年
ペピン1世, 831年?838年
シャルル2世, 838年?856年
ルイ2世 856年?879年
ルイ2世は、857年11月に起きたエリスポー暗殺に伴い、ル・マンから追放された。

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カペー朝の辺境侯
統合されたネウストリア辺境侯を治めた者だけが含まれている。ネウストリア辺境侯の称号は、ブルトン人の辺境伯とノース人の辺境伯がどちらも初期に使用したが、そのうちで最も知られているのはロベール4世で、のちのカペー家の先祖にあたる。

ロベール1世, 911年?922年
ユーグ大公, 922年?956年
ユーグ・カペー, 956年?987年

2009年04月22日

グスク(御城)

グスク(御城)もしくはスク(城)とは、南西諸島の内、旧琉球王国領域である奄美諸島(鹿児島県)から八重山諸島(沖縄県)の琉球弧とも呼ばれる地域にかけて、多数存在する古琉球(グスク)時代の遺跡。

地域により形態や呼び方に違いがある。三山時代には王や按司の居城となっていた。

グシク、グスクは本土でいうところの「城」であるが、学問的には、本土のように単に軍事拠点として作られたものとは考えられていない。但し奄美諸島においては、最初から軍事拠点であったとの指摘もなされている。この様に、グスクの起源には様々な説がある。

1)「聖域説」
琉球の信仰の聖地として、御嶽(うたき)があるが、グスクはもともと御嶽であったと考える説。
2)「集落説」
もともと集落として発生し、周辺を石垣で囲ったものとする説。また、1)とあわせ、御嶽を中心に発達した集落であるとする説。
3)「城館説」
地域の有力者の居城として構築されたとする説。

特徴
沖縄本島以南では早くから野積みの石垣が使われているが、その構築技術は極めて高く、マチュピチュの石造技術と比較されることもある。沖縄本島北部の一部や奄美諸島では石垣を用いない「土のグスク」もある。また古いグスクには必ず、その中に御嶽があることが確認できるともされるが、奄美諸島では未調査のものが多く大半が確認出来ていない。

タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら

主なグスク

沖縄本島
勝連城
座喜味城
首里城
中城城
今帰仁城
糸数城
南山城

奄美諸島
辺留城
世之主城

2009年04月05日

将棋崩し

将棋崩し(しょうぎくずし)は、将棋の駒と盤を用いた遊びの一種。山崩し(やまくずし)と呼ばれることもある。

基本ルール [編集]
通常2人以上の任意の人数で行う。

次に示すのは基本的なルールであり、厳密な規定がないため、地域や集団により様々なローカルルールが存在している。

じゃんけんなどの手段によって順番を決める。
将棋の駒を小さな箱に詰め、盤の上にこぼれないように素早く被せる。そのあと箱を静かに引き上げ、将棋の駒で「山」が盛られたことを確認する。
順番に駒を動かしていく。駒を動かす際に音を立てたり持ち上げたりすることなく、かつ1本の指のみで盤の外まで何枚かずつ滑らせていく。盤の外まで運ぶとそれを得られる。駒を倒したり、積み重なっている駒を崩したりして音を立てたときは、次の参加者に順番を交代する。
全ての駒が無くなった時点で終了。
将棋盤は平らで硬い板であれば代用可。

駒は通常は木製の駒を用いる。プラスチックの駒では非常に遊びにくい。

勝敗の決め方 [編集]
勝敗の決め方(順位の付け方)は統一的なルールはない。以下、ローカルルールの例を示す。

駒の種類に関係なく、取った駒の数が一番多い者が勝ち
王将→玉将→飛車→角行→金将→銀将→桂馬→香車→歩兵の順に駒の種類別に得点を設定し、取った駒の得点の合計が一番高い者が勝ち
王将を取った者が勝ち

その他のローカルルールの例 [編集]
立てたままの状態を維持して盤外に落とすと得点が倍になる
重なっている駒は崩して分けないと盤外に出せない
駒は1枚ずつしか移動できない
音を立ててしまった時点でゲーム終了
自分の順番の時、積まれた「山」の真上から拳で叩いて、盤外に落ちた駒のみ取る事ができる。

ストレッ ハダール ハルジ ハーネス みずあ カトレヤ まぐわ 夏の月 ガイド 紫色カリフ ティング インディオ ショーアップ プルデン ソイビーン ソリスト レール アモチ コピー 繊細 スケジュー ダンボ 手まりか テルル 白いブランコ メデリン スターチス なめねこ ロット ピクノジェ ミラー 幸せの色 オドメー パンパス パイプ 5匹の子 はなびし ムーム レプチン スペンス チャリヤ ウルトラ ライン ハンドボ ツインベッド わにがわ スロット ドルユーザ トリオット チーズ

2009年03月21日

富士 (列車)

富士(ふじ)とは、2009年3月14日のダイヤ改正まで九州旅客鉄道(JR九州)が東京駅 - 大分駅間を東海道本線・山陽本線・日豊本線経由で運行していた寝台特急列車(ブルートレイン)であった。なお、同日のダイヤ改正で併結する「はやぶさ」と共に廃止された[1][2][3]。
セロジネ ソラサ よどがわ リンネル マント チクング コスパ バックル マグニチ シンメト パトロール ナイト こだわ ブラック きえい イコライザ チューバ ミディサ ミオシン アケビ レッド 満龍 銀龍日本 ナイト シグマ ケマンソウ トハート スライダー セレシン おとずれ セーフ クサギ ナイト もろきゅ ローブ ナント テレマー デュー トロート ルシフ すげがさ ネオダマ 缶けり ドラム 山もみじ ドロップ プレス ニコラ トップ ハウンド

なお、「富士」の愛称は1964年(昭和39年)10月1日以前までは東海道本線電車特急の一員であり、また日本における列車愛称の項目にあるように戦前に制定されている「日本最古の列車愛称」でもあった。そのため、列車沿革では寝台特急以前の「富士」と、廃止直前までの運行経路である東京対日豊本線夜行列車の沿革を掲載している。

沿革 [編集]
(東海道本線優等列車沿革・山陽本線優等列車沿革の項目も参照)

寝台特急以前の「富士」 [編集]

戦前・日本初 特別急行1・2列車「富士」 [編集]
1912年(明治45年)6月15日 東海道・山陽本線の旧新橋駅 - 下関駅間に、一等・二等車のみで編成された日本初の特別急行列車として1・2列車が運行開始。最後尾には一等展望車を連結。
運行当時より1・2列車の終着駅であった下関から当時日本領であった朝鮮の釜山へ鉄道省による鉄道連絡船の関釜航路が運航されており、そこから先の鉄道・航路と連絡し朝鮮、満州、中国、さらにはシベリア鉄道を経由してパリ(フランス)、ロンドン(イギリス)に至るまでの国際連絡運輸が行われていた。1・2列車はその一翼を担うことにもなるため日本の威信をかけ、当時の最高水準ともいえる設備とサービスを有していた。ソファーや書棚が置かれ、一角には貴賓・高官用の特別室を設けた展望車を連結したほか他の当時の多くの列車の食堂車が「和食堂車」であったのに対して1・2列車は高貴な「洋食堂車」を連結していたことなどがその例といえる。
1914年(大正3年)12月20日 東京駅の開業に伴い、1・2列車は東京方の始発・終着駅を同駅とする。
1925年(大正14年)9月23日 海田市駅付近の豪雨に伴う土砂崩壊により特急第1列車が脱線転覆。(山陽本線特急列車脱線事故)多数の死傷者を出したことから強度に優れる客車の鋼製化を促す契機となった。
1929年(昭和4年)9月15日 特別急行列車に列車愛称を鉄道省が公募により初めて命名。1・2列車には「富士」、1923年(大正12年)7月1日から運行していた特急3・4列車に「櫻」とした。
この当時も1・2列車は一等・二等車のみ、そして特急3・4列車は三等車のみの編成であった。最後尾の一等展望車には同年11月からテールマークが取り付けられている。
列車名の由来は日本を代表する山である「富士山」からとされるが、一般からの公募によって決められた。この時の公募については列車愛称の項目も参照。
また、同年から1930年(昭和5年)にかけ1925年の事故に鑑み「富士」用の鋼製客車が製造され、順次これまで使用されてきた木造客車を置き換える。また、このとき作られた一等展望車は「白木屋式」と呼ばれるスマートな洋式内装のものと漆塗りや金メッキ金具を用いた「桃山式」と呼ばれる豪華な装飾が施されたものの2種類が存在した。
1934年(昭和9年)12月1日 丹那トンネル開通に伴うダイヤ改正で、「富士」にも三等車が連結される[4]。
1935年(昭和10年)7月 「富士」に連結していた一等寝台車(現行ではA寝台車に相当する)マイネ37130号車にシャワー室を設置。ただし同車のみ1両しか改造されなかっため、4日に1本のみであった。使用は一・二等客に限られ、使用する際は車掌から30銭の「浴券」を購入した。しかし4日に1本という運用頻度から利用が低迷し、同年10月頃には休止となっている[5]。
1942年(昭和17年)11月15日 関門トンネル開通に伴い、「富士」は運行区間を東京駅 - 長崎駅間に拡大。また上海航路の客船が到着する日には下り列車のみ、それとの連絡を図るため港に隣接した長崎港駅を発着駅にしていた。
1943年(昭和18年)7月1日 それまでの特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」とする。「特急列車」の呼称は、制度上はここで消滅している。
1943年(昭和18年)10月1日 運転区間を、東京駅 - 博多駅間に縮小。
1944年(昭和19年)4月1日 太平洋戦争の激化により運行中止。

戦後・「富士」の変遷 [編集]
戦後、「富士」の列車愛称は戦前に日本を代表する列車名称であったことから「それにふさわしい列車が出るまでは」と使用に慎重な姿勢が続いた。結局、1961年10月のダイヤ改正で列車の増発により東海道本線の電車特急に使用されたが「機会を逸した」との意見も少なからずあったとされる。

例えば「九州特急」の仮称があった「あさかぜ」の設定時に「富士」の名称を用いることが検討されたり、「ビジネス特急」の仮称があった「こだま」の名称公募の際も「富士」は将来別途使用の計画があるという理由で温存され投票対象から除外された。しかし、1950年(昭和25年)頃には新宿駅 - 河口湖駅間で運行された行楽臨時列車に一時「富士」の名称を使用したとされる。これについては、「ホリデー快速河口湖」も参照されたい。

1961年(昭和36年)10月1日 東京駅 - 神戸駅・宇野駅間の151系電車特別急行列車に「富士」と命名。「つばめ」、「はと」、「こだま」と並び東海道本線の昼行特急列車群の一翼を担う。
設定当時、「四国特急」の仮称があったとされる東京駅 - 宇野駅間を運行した「(下り)第1富士」、「(上り)第2富士」は当時夜行急行列車だった「瀬戸」と同じく四国連絡列車の1つとなりその折り返し運用として大阪 - 宇野駅間を運行する特急「うずしお」が設定されたが東京駅 - 神戸駅間を運行した「(下り)第2富士」、「(上り)第1富士」はそれまでの「(下り)第2こだま」、「(上り)第1こだま」を名称変更する形となった。
なお、東京駅 - 宇野駅間の765.7kmは当時の昼行電車特急列車運行区間としては最長であった。しかし、翌1962年(昭和37年)6月10日で「(下り)第1つばめ」、「(上り)第2つばめ」が広島駅へ延伸されたのに伴い「(下り)第1富士」、「(上り)第2富士」の持っていた最長記録は同列車の894.2kmに更新された。
1964年(昭和39年)
4月24日 東海道本線草薙 - 静岡駅(当時)間を運転中の「(下り)第1富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突。この事故で大破した一等特別席パーラーカー「クロ151-7」は廃車となった。詳細はクロ151-7脱線大破事故を参照。
9月30日 翌10月1日に控えた東海道新幹線開業により東海道本線の電車特急は新幹線列車へ移行し、全廃されることとなった。このため、昼行列車としての「富士」は廃止となった。なお、名称は下記の寝台特急に移行した。

2009年03月06日

南部、中西部および北東部は全く違う経済構造

南部、中西部および北東部は全く違う経済構造であった。互いに交易があり、それぞれ合衆国の中に留まることでより繁栄をもたらしていたのは、1860年から1861年の多くの実業家が指摘したことでもある。しかし、1920年代のチャールズ・ベアードは、(奴隷制や憲法論議よりも)これらの違いが戦争の原因になったという高度に影響のある議論を行った。ベアードは北部の産業と中西部の農業が連携して南部のプランテーション経済と対峙したという見方をした。これを批判する人は、北東部が多くの異なる競合的経済利益によって高度に多様化しており統一された北東部という見方が正しくないと指摘した。1860年から1861年、北東部のほとんどの実業界利益代表は戦争に反対した。1950年以降、ベアードの解釈は自由意志論経済学者には受け入れられているものの、歴史家の主流でこれを認めるものは少数に過ぎない[37]。歴史家のケネス・スタンプは1950年以降ベアード説を棄てて、学界の合意事項を総括した[38]。「ほとんどの歴史家は...なぜ北部と南部の異なる経済が分裂を生み南北戦争を起こしたかという説得力のある理由を今は見出せない。むしろ彼らはなぜ、経済が互いに補い合っていた二つの党派が、合衆国に残る利点をそこに見出さなかったかという強く実際的な理由を見付けた[39]。

自由労働対奴隷制擁護論議
歴史家のエリック・フォーナーは、自由労働理論が北部の支配的な考え方であり、それが経済機会を強調したと論じた。対照的に南部の者達は自由労働者のことを「グリースにまみれた機械工、汚い運転者、拳の小さい(けちな)農夫、および気の触れた理論家達」と呼んでいた[40]。南部の者達は西部の自由農場を提案するホームステッド法に強く反対し小規模農夫がプランテーションの奴隷制に反対することを恐れていた。実際にホームステッド法に対する反対は関税に対する反対よりも脱退主義者の弁論の中によく使われていた[41]。カルフーンのような南部の者達は奴隷制が「積極的な善」であるとし、奴隷制故に奴隷達は文明化され、道徳的にも知的にも改善されるとしていた

アメリカ連合国副大統領アレクサンダー・スティーヴンスの「礎石演説」、1861年3月21日、サバンナにおいて。

“ しかし、(トーマス・ジェファーソンの)考え方は基本的に間違っている。その考えは人種の平等という仮定に立っている。これは誤りである。 ... 我々の新しい政府は全く反対の考えで設立された。その基盤と「礎石」は黒人が白人と同じでは無いという偉大な真実に依っている。奴隷制は優れた人種に従うということであり、自然で通常の状態である。 ”

1863年7月、ゲティスバーグとビックスバーグで決戦が行われた時に、共和党上院議員チャールズ・サムナーは、再度その演説「奴隷制の未開性」を講演し、奴隷制を保存したいという望みは単に戦争の理由に過ぎないと言った。

“ この戦争には2つの明らかな基礎がある。1つは奴隷制であり、もう1つは州の権限である。しかし、州の権限は単に奴隷制を覆うものに過ぎない。もし奴隷制が無くなれば、州の権限からの問題も無くなる。
戦争は奴隷制のためであり、他の何者でもない。既に議論で言い尽くされてきた領主の支配を、武器を取って正当性を主張するのは気違い沙汰である。気違いを気取った不敵さでこの未開さを真の文明として言いくるめようとしている。奴隷制は新しい体系の「礎石」であると宣言されている。

おっくうこ リモデル ユズ ミドル マナ マスク スギラ フラフー フライング バスター コブラ フランジ モンキ 水平線 ジンジャー テーゼ なんぶ セリンリン アランス トブツ マイスタ オレゴンオイ ビヌーボー シルバ トレサパ プロセニ フィンエァ デフォルト ブギウギ ソマリア かぶき バイタル ガーネット ミラーボ ケンタウ バラライカ セクサ マダガス バチスト サポナリア ハンドル ストック スファレ イ長調 ミナレ ならく たびだち イージス スリリース ピクルス

リンカーンの戦争目的はその原因とは対照的に戦争に対する反応であった。リンカーンは愛国主義者の目的は合衆国の保存だと説明した。これは奴隷解放宣言の1ヶ月前、1862年8月22日のことであった。

“ 私は合衆国を救いたい。私は憲法の下で最短の方法で救いたい。国の権威ができるだけ早く戻れば、合衆国は「以前の合衆国」にそれだけ近くなる。...この闘争における私の最優先事項は合衆国を救うことであり、奴隷制を救うことや破壊することではない。奴隷を解放することなしに合衆国を救えるのであればそうするだろう。奴隷をすべて解放することによって合衆国を救えるのであればそうするだろう。またもし私が幾らかの者を解放して残りをそのままにしておくことで、合衆国を救えるのであればそうもするだろう。...私はここで、私の公式任務の見解に即して私の目的を語った。私はこれまで個人的な願望として語ってきた全ての者はどこでも自由であるべきという考え方を修正するつもりはない[43]。 ”

1865年3月4日、リンカーンは2回目の就任演説で奴隷制は戦争の原因だったと語った。

“ 全人口の8分の1は有色の奴隷であるが、合衆国全体に等しく分散しているわけではなくて、南部に偏っている。これらの奴隷は特別で力強い利益の構成要素となった。この利益がいくらか戦争の原因になったことは皆が知っている。この利益を強化し、永続させ、また拡げることが、反乱者が戦争によってでも合衆国を引き裂こうとした目的である。一方で政府は領土の拡大を制限すること以上の事をする権利は無いと主張した。

2009年02月14日

なつぽち

田舎町で育った主人公・相楽 仁(さがら じん)は、代々続く家業の退魔師を継ぐことを何としても避けたく、都会の大学へ進み教師の道を選ぶ。しかし、大学卒業時に、都会での教師としての働き口にありつけず、故郷の母校からの誘いに渋々ながら応じる。実家に戻らないために、わざわざ母校近くにアパートを借りたはずが、故郷に着いたら実父によりアパートは解約されていた。

義妹・美咲の願いもあり、実家に戻り生活を始める仁。そして、夏休み1週間前に赴任した母校には、駅で出迎えてくれたかつての恋人・千歳のほか、腐れ縁の友人・真も教師として勤めていた上、担任となったクラスには美咲に加え、幼なじみの隣家の娘・かりんまでいるのであった。

そして、何だかんだで疲れ切った赴任初日の帰路、美咲とともに家に向かう仁は、小さな子狐を拾う。それをきっかけに仁の周囲は、誰も予想だにしなかったような、とんでもないできごとが次々と起こる、激動の夏となっていく。

たとえ血縁がなくても、みんなが家族と思える場所。温かくて居心地がよく、笑いの絶えない家。そんな、誰もがいつまでも続いてほしいと思い願う、楽しく平穏な日々。しかし、それはつかの間のこと。いつか、そんな日々は終わりを告げる……。
ブリザード キング スイート アクター タッパー フリーズ 国道日 コピー ノルウェー ケーワイ スラック コスト ナース デビル スレンダ スパナ てらつつき ジェイ メラノーマ オーイー フォトグ クラッチ テリト キンシバイ ムラサキ オブジェク フィニ スベリン ビーズ ピュア カナッペ プレーグ すりはく ベスビア レーム ひっす フライ スタート ション パルメ メション ヘルプ ハイブ ロスカット イカーゴ フロー マグノリ 小夜時雨 サモエード ナビテラ

すべてのヒロインについて、世間では許されない恋愛関係、ということへの挑戦を描いている。

美咲 - 義理の関係とはいえ、兄と妹の恋愛
千歳 - 生まれつき、荒ぶる神の封印のための器として定められた“贄”たる巫女の女性との恋愛
霧絵 - 人と神との恋愛
綺沙羅 - 人と妖との恋愛
相楽 仁(さがら じん)
主人公。プレイヤーキャラクターであり、この人物の視点で物語が進む。
代々退魔師の家柄の嫡男で、本来は退魔師を継ぐことを望まれているが、父・秀真のあまりのちゃらんぽらんさと、自分以外により定められた人生を歩むことを嫌い、高校卒業を機に家を出て都会の大学へ進み、教員免許を取った。そのまま都会で教師になろうとしたが、採用試験にことごとく落ちてしまったところへ、郷里の出身高校から教師としてのオファーがあり、帰郷することになる。
教師を志望したのは、中学の頃にグレかけていた時に出逢った教師に感銘を受け、自分もそういった教師になりたいと思ったことから。
夏休みの1週間前に、母校の新任教師として赴任した。着任直後より、義妹の美咲や、隣家のかりんがいるクラスの担任となる。担当教科は日本史。
退魔師の家系だけに、人ならざるものの気配などを感知する能力がある。霧絵が人間でないことも、正体がわかる前から感づいていた。
体術もそれなりに身についていて、高さ3mほどの屋根などに飛び上がることができる(特殊な術の力で肉体能力を高めている)。
朝が弱く、特に寝起きが悪い。美咲のほか、霧絵・綺沙羅・かりん・千歳・ハナなどの女性陣に起こされる毎日。
考えていること(特にえっちなこと)がすぐ顔に出る。かりんなどに、よく「やらしー顔してた」などと突っ込まれる。
色恋沙汰には少し鈍感。千歳にも、よく「鈍い」と言われている。
愛称は「仁ちゃん」。千歳やかりんには、こう呼ばれている。
綺沙羅に剣術を教えた霧絵に、剣の指南を受ける。大切な人々を守れる力を身につけんがために。
声優は、プレイヤーキャラクターなので設定されていない。

ヒロイン
霧絵(きりえ)
美咲と仁が下校時に見つけた、道ばたで倒れていた子狐。
相楽家に来た晩とその翌晩、台所に忍び込んで冷蔵庫を荒らしていた。どちらも仁に見つかり、初日はうまく逃げたものの、2日目に捕まった。
正体は、鏑木神社に祀られている土地神。しかし、ある事情によりほとんどの神通力を失ってしまい、神社に戻ることすらできなくなっている(と、本人が語っている)。
髪の色はもちろんフォックスゴールド。全体にショートヘアーだが、後ろの1束だけは身長と同じぐらい長い。頭には、先端が黒い“狐耳”がある。瞳はあずき色。大きくてふさふさのしっぽが2本ある。
神だけに、やや古風かつ尊大な口調でしゃべる。
冷蔵庫荒らしをしたことからわかる通りの食いしん坊。狐の神様らしく、油揚げやそれを使った料理(いなり寿司など)が大好物。
相楽家に来た当初の人間としての姿は、小学生低学年程度(神通力がほとんどなくなっていたため)。仁にはいきなり「ちんくしゃ」と言われてしまった。見かけも行動も、神の威厳などはカケラもなく、ふだんは仁や千歳たちにおもちゃ扱いされる始末。
当然ながら、動物扱い(ケダモノとかペットとか呼ばれる等)されると怒る。仁には「神なのだから敬え」と言うが、美咲や千歳、かりんなどに「キリちゃん」と呼ばれても、気にする様子はない。
火の属性を持っている。本気で怒ると、多数の狐火(青い火の玉)を出して攻撃する。人間がこれに当たると、普通に火傷する。
仁たちに拾われた後、しばらくの間は相楽家からあまり離れることができず、仁や美咲が学園に行っている間などは1人で留守番をしている。
留守番中の暇つぶし用に仁が貸したテレビゲームにはまった。特に対戦格闘系が好みだが、素質がないらしくなかなか勝てない。
かりんが遊び道具として持って来たトランプにもはまるが、ポーカーフェイスができないので、やはり負けまくっている。
神通力が回復すると、本来の大人の姿になる。髪や耳などは同様だが、しっぽは九尾に、胸は千歳よりわずかに小さいものの、かなり巨乳の美人になる。この姿での瞳は蘇芳色。プロポーションも抜群。声も大人の女性のものになる。
スイカには塩をかけない派。自然そのままの味わいを大切にしているらしい。
かつて人間たちに裏切られた後は、妖狐として暴れていた(人を殺したりもしていた)。敬愛する皇子様が祟り神と化し、その封印に力を貸して神となってからも、関係を持てるのは鏑木の巫女ばかりで、その心は孤独だった。そのため、自分を家族として温かく受け入れてくれた相楽家をいたく気に入り、神社に戻れる力が回復しても相楽家を離れたがらない。
もちろん、弱点はしっぽ。「耳に吐息」にも弱い。永き時を生きて来たが、仁と出逢うまで生娘のままだった。
声優:金田まひる
相楽 美咲(さがら みさき)
戸籍上は、仁の義妹(血縁としては従妹だが本人は仁が家を出る頃まで知らなかった)。年齢の割にスレンダーな体形。特に胸が小さめで、逆にお尻は少し大きめ(これらは、本人はとっては大きな悩み)。
黒鳶色のショートヘアー。サラサラだが、ザンギリなので少しボサボサ。
首に、青緑色の石のペンダントをつけている。これは実母の形見で、魔除けの効果があるらしい。
憑坐(よりまし - 死人の霊などを自身に宿らせやすい体質)で、悪霊などに狙われることがある。また、墓参りの時に実母である沙久美の霊が宿り、仁と会話したこともある。
ふだんは控えめでおとなしいが、仁と秀真がケンカした時などは、場を仕切ることもある。明るく無邪気さにあふれた“ひまわりのような笑顔”が印象的。
仁を「にーちゃん」と呼ぶ。父の秀真が留守がちだったため、小さい頃から仁が父親代わりで、仁にはなついている。小さい頃は、泣き虫で甘えん坊だった。
幼い頃から母親代わりとして家事を担当していて、特に料理の腕前は元々素質があった上、料理上手のハナ婆ちゃんに仕込まれ、すでにセミプロ級。学園では「家庭科の女王」の異名を持つ。
美咲と仁がかつて恋人どうしだったということは知らない(知り合いということは知っていた)。
学園では園芸部に所属し、野菜専門。「花が楽しめて、収穫もできる」作物を育てている。
小さい頃から、人一倍の怖がり。肝試し企画もあまり乗り気ではなかった。肝試し中は、2番目のチェックポイントで泣き出してしまった。
仁が他の女の子とえっちなことをしようとするのは許せない。即座に、仁にお盆や電気ポット、招き猫の置き物などを投げつける。その狙いは的確で、夜店では輪投げが得意。
文系の科目はそこそこ得意だが、理系科目は苦手。
弱点は耳。かりんによって開発されたという話もある。
声優:松永雪希
鏑木 千歳(かぶらぎ ちとせ)
仁の元カノ。「若さゆえの過ち」で、高校生の頃に仁と肉体関係もあった。仁より1歳年上。仁とは真の紹介で出会った。
黒いロングヘアーをポニーテールにしている。瞳はかすかに緑色を帯びた金色。胸は巨乳(Fカップ)。私服はチューブブラにショートジーンズという、なかなか露出度の高いものを好む。学園では、派手な赤いスーツを着ている。
明るくさっぱりした性格で、頼れるお姉さん。ただ、時々笑顔にかげりが見えることがある。
愛車は大型の赤いスポーツワゴン。学園へもこの車で通勤している。相楽家は通勤路の途中にあり、よく仁を送迎している。運転は上手いというよりレーサー並みで、山道などを好きに運転させると同乗者は恐怖を味わうことになる。レーシングゲームでも、そのテクニックは変わらない。
仁が東京に出た4年前、仁を“振った”。それ以来、仁が帰郷するまで、仁とはまったく音信不通だった。
酒(特にビール)が好きだが、それほど強いわけではない。
ハンバーガーなどのファーストフードも好物。もともと食べたことがなかったが、かつて仁とつき合っていた頃に、デートで必ずといっていいほどファーストフード店に誘われていたため、いつの間にか好物になってしまった。
鏑木神社の一人娘で、ある程度成長するまで、神社の中で育てられた。そのため、他人との関わり方がわからず、学校へ通うようになっても孤独だった(そんな千歳を、あちこち引っ張り回すことで、そうと気づかずに孤独から救い出したのが仁だった)。
本来なら巫女となり跡を継ぐべき人物だが、「仁と同じ世界を見てみたい」との思いで、人生の選択肢の一つとして教員免許を取り、学園の教師となっている(一生続けるかどうかは決めていない)。担当教科は古典。
神社の娘としては、まったく関わっていないわけではなく、時々は巫女としての仕事もしている。しかし、あからさまにではないものの、周囲からは早く教師をやめて巫女に専念するようにとの圧力をかけられている。古くからのしきたりにより、従兄の真との婚約が決まっていた。
美咲やかりんとは、学園の教師と生徒という関係に加え、仁という共通の知り合いがいることで親しくなった。
美咲やかりんをはじめ、女生徒たちには「千歳先生」と呼ばれている。仁にとっては、1つ年上の先輩教師という立場でもある。
父親はかなり厳格な人物だが、どう説得したのか巫女にもならず外泊も自由という立場を手に入れている。
秀真がしばらく相楽家を留守にした間、仁の監視(万が一にも美咲を襲わないように)という名目で、秀真の依頼と公認のもと、相楽家に泊まり込む。
実は暗所恐怖症。正確には「暗闇の中にいる何か」に対して極端な恐怖感を抱いている。また、虫系や爬虫類系もダメ。川に遊びに行った時、仁に石の下の虫を見せられてパニックになってしまったほど。
コスプレマニア。と言っても自分が着るのではなく、気に入った生徒や霧絵に自作のコスチュームを着せて(さらにその姿を撮影して)喜ぶという、困ったお方。当然、裁縫が得意。
残念ながら、料理は経験が少なすぎるために下手。
弱点は胸。それは、仁により開発されたという話もある。
声優:涼森ちさと
綺沙羅(きさら)
妖狼の娘。
銀色のロングヘアー。前髪も長く、ふだんは右目を隠している。瞳は左目が金色、右目が碧色のオッドアイ。髪の一部のように見えるほど毛足の長い耳があり、先端の毛は少し黒くなっている。
鮮やかな藤色の和服を愛用する。武器は日本刀で、常に携行している。剣の腕前は超一流レベル。しかし、それは霧絵に習ったもので、霧絵には勝てないという。
霧絵が土地神となる前の妖狐の頃に、いっしょに暮らしていた。霧絵を「姉様」と慕う。
かつて、人間の退魔師に封印されたことがあり、人間を憎んでいた。
思い込みが激しいところがあり、霧絵が仁たちによって相楽家に幽閉されていると誤解し、救い出そうとして現れた。
肝試しの夜、地震で出現した悪霊たちが美咲たちを狙っていたのを、仁とともに防ぐ。その時、霧絵が妖には使えないほど強大な神通力を使うところを見て、初めて霧絵が妖から神になっていたことを知った。
仁に果たし合いを申し込み、負けたら「この身を自由に」と約束した。その通り、仁に(やや姑息な手段のせいながらも)負けてしまったが、美咲や千歳に毒気を抜かれ、霧絵にも諭されて、相楽家に居候することになる。
後に、霧絵の特訓を受けた仁の再戦を受け、今度は純粋に剣術のみで完敗。以後、仁を「主様」として付き従うようになる(狼は自分より強いものに絶対服従)。
本来は素直で、優しくしとやかな性格。相楽家に居候するようになってからは、仁を「仁様」と呼ぶ。立ち居振る舞いも優雅かつ上品で、大和撫子と呼ぶにふさわしい。家事も一通りこなし、よく美咲の手伝いをする。
優しく温かい相楽家の雰囲気を何よりも大切に思っていて、自分のせいで仁と美咲・千歳・秀真などとの関係が悪くなることを極端なまでに恐れている。
ゲームに関しては筋がよく、初めてゲーム機を触ってから数分で霧絵より上手くなってしまうほど。
匂いで追跡ができる嗅覚のほか、傷をなめて治療する力なども持っている。また狼だけに、月の影響を強く受け、満月が近いと体調に変調をきたすことがある。
かりんには「キサちゃん」と呼ばれている。
極めて長い年月を生きて来たにもかかわらず、男性経験はまったくなかった。仁が「初めての男」となる。
やや濃いめの味を好むらしく、スイカには塩をかける派で、味覚に関しては霧絵と意見が対立している。
弱点はしっぽや耳かと思いきや、実は首筋と背中。かつて、霧絵にもよくいじられていた。
声優:風華

サブキャラ
日比野 かりん(ひびの かりん)
相楽家の隣家に住む少女。祖母のハナが仁や美咲の世話をしていた関係で、相楽兄妹とは幼なじみ。美咲とはクラスメイトでもあり、大親友。さらに、仁が担任となるクラスに所属している。
サーモンピンクのロングヘアー。通学時は後ろで髪留めやリボンでまとめたアップにしている。瞳は灰色。胸は平均以上に大きい。また、脚が特にきれい(ほっそり、というよりは健康美にあふれている)。食いしん坊だが、幸いなことに「食べても太らない」タイプ。
フランクな性格で、幼なじみの美咲を「みさきち」と呼ぶ等、親しい友人知人は愛称で呼ぶ。仁のことを、ふだんは「仁ちゃん」と呼んでいるが、学園内では何とか相楽先生と呼ぶ(しかし他の教師などの目がなければ「仁ちゃん」呼ばわり)。昼休みには、仁たちと昼食をいっしょにするため、職員室の入口で仁の名前を大声で連呼する。千歳は、学校以外では「ちー姉(ちーねぇ)」と呼ぶ。
けっこう耳年増。千歳が「5年前に巫女の資格をなくした」と聞いて、訳知り顔でニヤニヤしていたほど。
ややレズっ気がある。特に美咲が大好きで、顔を見ると抱きついたり、胸をもんだりする。もちろん、美咲の恋を応援していて「風呂場で裸で迫ってしまえ」等と、過激な入れ知恵をしたりする。
「にゅふふ?」とか「?にゃ」といった、猫っぽい言葉づかいをすることがよくある。
両親が商店街で経営するパン屋兼喫茶店「Caplinal」の手伝いをしている。自称「看板娘」。
秀真がしばらく家を留守にした時、千歳が相楽家に泊まり込むという話を聞き、負けじと美咲の部屋に泊まり込む。
スポーツ万能で、多くの運動部から誘いを受けているが、家の手伝いを重視していて、クラブには所属していない。
美咲と同様に、ハナに料理を仕込まれているため、一通りの料理はできる。腕前は、さすがに美咲には及ばない。
霧絵とは気が合うらしく、格闘対戦ゲームでよく対戦する。
ふだんの元気さとは裏腹に、美咲を上回るかなりの怖がり。怪談やお化け、幽霊のたぐいは苦手。肝試しの話も、かなりやせ我慢していたが、最初のチェックポイントのところで仁におどかされたとたん、大泣きして怖がりであることをさらけ出してしまった。
金魚すくいが得意で、夜店の金魚すくい屋のおっちゃん泣かせ。
扱いはヒロインたちと同等だが、残念ながら攻略対象ではない。明るく元気な“にぎやかし”担当。
声優:青山ゆかり
駒宮(こまみや)
仁のクラスの少女。かりんと同じぐらい、元気で活発。
明るい朱鷺色のショートヘアー。おでこの両側とその下の4か所で薄桃色のリボンで髪を束ねている。大きな目で、瞳も朱鷺色。
美咲やかりんと仲よしで、昼食もいっしょ。
好奇心が旺盛で、特に仁の女性関係には興味津々。怖いものも大丈夫。夏のイベント第1弾として、学園での肝試しを企画した。
かりんには「駒ちゃん」と呼ばれている。
仁にも興味を抱いている。
声は設定されているが、声優は特定されていない。
榊(さかき)
仁のクラスの少女。かりんや駒宮よりは少し落ち着いた雰囲気。成績優秀な優等生。
砂茶色のロングヘアー。頭の左右やや後ろで、白いリボンで一束ずつまとめている。瞳は灰色。
美咲やかりんと仲よしで、昼食もいっしょ。
仁の就任初日から、仁に対して好意を抱いた。
“西園寺と真”の「美男子コンビ」の関係にも興味を持っている。さらに、仁が赴任してからは“西園寺と仁”の組み合わせも噂になりつつある。いわゆる腐女子の予備軍。
おとなしそうな外見とは裏腹に、夜店では射的が得意。
声は設定されているが、声優は特定されていない。
乾 真(いぬい まこと)
仁の幼なじみで、かつての遊び友だちにしてライバル。仁より1つ年上で、千歳と同い年。
金色のショートヘア。瞳は碧色。一応、そこそこの涼やかな顔立ちのイケメンである。カーキ色のスリーピーススーツを愛用。
千歳と同じく、仁たちの母校で教師になっている。専門科目は物理。仁はそれを知らされないまま学園で真と教師どうしとして再会し驚くことになった。
仁と同じく、西園寺学園長に気に入られている。
外見と違い、極めて生真面目な性格。仕事は持ち帰らない主義で、遅くまで学園に残っていることが多い。
幼稚園から高校卒業まで、仁とは腐れ縁だったが、同じ学園の教師となって、腐れ縁がさらに続いている。
千歳と同じく、仁にとっては1つ年上の先輩教師という立場でもある。
実家の乾家は、鏑木家と並ぶ地元の有力な旧家。実は、千歳は従妹。
古くからのしきたりにより、千歳との婚約が決められていた。
声優:浜風敏太
西園寺(さいおんじ)
現在の学園長。男性だが、女性のような美形。金色のストレートロングヘアーで、瞳は茶色。小さな眼鏡をかけている。学園長とは思えない若さで、口調は穏和。どうやら同性愛の気があるようで、仁のことを気に入っている様子。放課後などに、やたらと「2人きりになれる場所」へ誘って来る。
まるで忍者のように、気配をまったく感じさせずに近づいて来て、突然話しかけて来る。
駒宮が企画した肝試しを二つ返事で許可した上、チェックポイントなどの準備も1人でやってしまう等、生徒とのイベントには極めて協力的。
声は設定されているが、声優は特定されていない。
相楽 秀真(さがら ほつま)
仁の実父。鳶色でボサボサのショートヘアー。あごに無精ひげを生やしている。ふだんは、派手なアロハシャツに白いジャケットという遊び人風の服装をしている。だいたい、いい加減でちゃらんぽらん。
ふだんの言動からは想像もつかないが、実は非常に優秀で強力な退魔師(代々退魔師である相楽家の第17代)。退魔の際は、闇色の和装に身を包み、日本刀を携える。
仁が家業の退魔師を継ぐのは義務と考えていて、それに必要な才能があることも知っている。
退魔師として体術の心得もあり、高さ3mほどの屋根などに軽々と飛び上がることができる(特殊な術の力で肉体能力を高めている)。
湯上がりなどに、全裸のままで仁や美咲の前に仁王立ちになったりする。
かつて、「若さゆえの過ち」で、妖と交わったことがあるらしい。
かりんと同じぐらい金魚すくいが得意。夜店の金魚すくい屋のおっちゃんを遠慮なく泣かせる。
妻の沙久耶を溺愛していて、その妻が亡くなった時は自暴自棄になりかけた。また実弟がいたが、妖との戦いで命を落としている。妻や弟を守れなかったことが、深い心の傷となっている。
とにかく「おいしい場面」で登場する。
声優:一条和矢
日比野 ハナ(ひびの はな)
相楽家の隣に住む老婆。息子夫婦と、孫のかりんと同居している。
ライトブラウンの髪をオールバックにしている。ブラウンの極太逆さ八の字眉毛が強烈なアクセント。仁いわく「顔は凶悪」。
料理の腕前はプロ級で、美咲にその腕前を伝授した。
母を早くに亡くした相楽兄妹の母親代わりとして、仁・美咲を幼い頃からかわいがっていた。頑固な中に優しさを持つ、頼れるお婆ちゃん。
かなり高齢だが、まだまだかくしゃくたるもので、性格や行動も豪快。相楽家にも何の気兼ねなく出入りし、朝に仁の部屋に入り込んで起こしに来たりする。すでに中年の秀真ですら、子ども扱い。
鏑木神社の氏子であり、神霊に対する敬意はきちんとしている。霧絵に対しては「霧絵様」と呼び、敬語を使って話す。
仁やかりんには「ばっちゃん」と呼ばれている。
夏場に、無駄に臨場感のある怪談話をするのが好きで、幼い頃の美咲やかりんを大泣きさせていた。
朝に仁を起こしに来る時は、その“凶悪”な顔をどアップにして近づけて来る。
綺沙羅を一目見ただけで気に入った。
ツッコミは鋭く、秀真も勝てない。八百屋の親父も「敵に回したくない」と言うほど。
庭に家庭菜園を作っていて、その収穫をよく相楽家に持って来る。その代わり、よく相楽家で食事をしている。
声優:広島よしの

その他
八百屋のおっちゃん
仁や美咲とは幼い頃からの知り合い。美咲をいつもからかっている。
声は設定されているが、声優は特定されていない。
少年
個人名は出ていない。商店街で迷子になっていて、仁や綺沙羅が母親探しをした。後日、仁たちと再会した時、急に道に飛び出して事故になりかけたところを、綺沙羅に救われた。
声は設定されているが、声優は特定されていない。
相楽 沙久耶(さがら さくや)
仁の母親。すでに亡くなっている。公的には病死となっているが、実際の死因は違う。
相楽家の蔵の片隅の箱に、日記帳を残していた。
双子の妹で、姉は沙久美。旧姓は八坂。
沙久美(さくみ)
仁にとっては伯母であり、美咲の実母。沙久耶の双子の姉。
妹の沙久耶が若くして亡くなった後、甥である仁をかわいがっていたが、やはり若くして実娘の美咲が1歳になってほどなく世を去った。すでに夫は亡く、身寄りがなくなった美咲は秀真が養子として引き取り、仁の妹として育てた。
仁が4年ぶりに沙久耶の墓参りに行った時、美咲の身体を依代として仁と会話をした。
声は設定されているが、声優は特定されていない。
蛇神(へびがみ)
蘇芳市内の湖にある祠に封じられている、強力な悪霊。邪悪で巨大な白蛇の姿をしている。「水津霊(みずち)」とも呼ばれ、水の属性を持つ。
元は、はるか昔にまだ妖だった霧絵と、綺沙羅を助け保護した、心優しい土地神。神となる前、人であった頃は「地祇皇子(ちぎのみこ)」という名の穏やかな女性で、現在の蘇芳市付近を治めていた。霧絵や綺沙羅には「皇子様(みこさま)」と呼ばれている。
神となってからも、その土地と人々に恩恵を与えていたが、ある日突然、外から来た他の神の差し金により、土地の人々に裏切られて土地を追われた上、他の神により封印された。その恨みがすさまじい怨念となり、祟り神として復活した。
数百年前、霧絵と、相楽・鏑木・乾の3家の当主の協力で、何とか封印することに成功。これにより、妖狐だった霧絵が土地神に昇格し、鏑木神社に祀られた。
封印は完全ではなく、時とともに緩み、邪神の一部が漏れ出して霊障を引き起こすことがある。また、封印を継続するためには、鏑木の巫女が必要とされている。
「スッシー」の正体。
蛇神、地祇皇子とそれぞれ声は設定されているが、いずれも声優は特定されていない。
スッシー
蘇芳市内の湖にいるという謎の巨大生物。古代恐竜の生き残りらしいと言われているが、地元テレビ局 (SBS) が話題にしているだけとの話もある。
正体は、蛇神の影。

主な舞台
蘇芳市(すおうし)
物語の舞台となる町。地方の小規模な田舎町だが、駅前や商店街はそこそこにぎわっている。地元商店街の衰退という問題もない。
仁たちの住むエリアは、上蘇芳駅が最寄り。2年ほど前に駅の付近や商店街がリニューアルされ、おしゃれな感じの町になっている。
街中を川が流れている。護岸が整備されていて、自然の川という感じではない。霧絵(が化けていた子狐)は、この近くで仁たちに拾われた。
大きな湖もあり、その中には小島がある。また、湖のほとりには祠があり、祟り神を封印している神鏡が祀られている。
なぜか、仁が帰郷してから、大きめの地震が連発する。
相楽家(さがらけ)
純和風の平屋建て日本家屋。庭に面して長い縁側がある。庭には古い蔵が建ち、また小さな畑があって、美咲が食材になる野菜などを育てている。
霧絵によると、霊脈の要に位置していて、神通力の回復ができる場所らしい。
本宅の周囲には、秀真により妖避けの結界が張られている。普通の人間にはまったく影響はなく、結界の存在すら気づかないが、悪意を持つ霊的存在は跳ね返される。当初、綺沙羅は通れなかったが、霧絵が軽くいじって、綺沙羅は問題なく通れるようになった。
居間には大型液晶テレビがあり、仁が持ち帰ったテレビゲームが接続されていて、ほぼ毎日霧絵がプレイしている。
夏の間、縁側には風鈴が下げられ、涼やかな音を響かせている。
学園
仁や千歳が教師として勤め、美咲やかりんが生徒として通う男女共学の高校。仁や千歳の母校でもある。
それなりに歴史があり、いわゆる「学園の七不思議」もある。
学園長は、仁が生徒の頃は白髪の老人だったが、今は若い西園寺になっている。
相楽家からは、歩いて20分ほど(千歳の車なら約5分)。
校舎の屋上は出入り自由で、天気のよい昼休みにはランチスポットとなる。仁も、美咲・かりん・駒宮・榊(時に千歳も)といっしょに屋上で昼食を楽しむことが多い。
女子の制服はセーラー服ベースのデザインで、上着のえり回りや袖口と、スカートは明るいモスグリーン。それ以外はクリーム色で、上着は胸の下あたりまでしかない。リボンは黄色。ブラウスは白で、上着の下、腹部から腰のあたりまでの長さ。前後と左右が大きくV字型にカットされている。
学園の七不思議のうち、以下の3つが明らかにされている。
夜中に、校舎奥の西階段(昇降口から遠く、ふだんからほとんど使う人がいない)を1段ずつ数えながら上ると、最後の1段(12段目)を上がり終えた直後、ないはずの次の段(13段目)を数える声が聞こえる。
3階の女子トイレで、夜中に一番奥の個室の扉を5回ノックすると、誰もいないはずなのに5回のノックが返される。
音楽室のベートーベンの肖像画が、夜中に笑い声を上げる。
鏑木神社(かぶらぎじんじゃ)
相楽家のある一帯を治める、歴史ある神社。千歳の自宅でもあり、かなり規模が大きい。朱色の大鳥居があり、本殿もかなり大きい。また、広い舞殿がある。
夏祭りはそこそこ大規模で、県外からも見物客が多数訪れる。夏祭りでは日中、舞殿で祟り神の封印の戦いを伝える神楽が行われ、千歳が巫女として舞を披露する。
祀っている神の本体である霧絵が不在となってしまい、一時は大騒ぎになった。
当然ながら、神域なので相楽家のものよりも強力な妖避けの結界が張られている。そのため、綺沙羅は近づくことができない。
Caplinal(カプリナール)
かりんの両親が、仁が戻って来た年の春に開いたばかりの喫茶店。商店街にある。元々パン屋を経営していたが、新たに喫茶店を開設した。
板張りの床にレンガを模した壁など、ナチュラルな雰囲気の内装。
学園の放課後や休日には、かりんが「看板娘」としてウェイトレスの手伝いをしている。